うつ病~休職中 番外編

休職することをきちんと決めてから思いついた

ずっと行きたかったスペイン!10日以上休みが取れるのは今しかない!行くなら今しかない!今後のことは心配だけど…今しかない!これを逃したら行く機会はない!

休職すると決めたから考えついたこと。休職前はそんなこと思いつきもしなかったし、考えもしなかった

 

申し込んだがパスポート持ってない…

パスポート取りに行かないといけない。どうしても起き上がれない。でも行かなきゃスペインに行けない   葛藤・葛藤・葛藤

旅行会社からアルハンブラ宮殿に入場するには前もってパスポート番号を伝えて予約が必要です。期日までにお知らせいただかないと入れないこともあります

         迷惑者・迷惑者・迷惑者   あ~あ~あ~・・・・・・・・・

入れなくてもいいけど、パスポートないと行けない

あ~あ~あ~・・・・・・・・・   あ~あ~あ~・・・・・・・・・


無計画すぎた。自分の病気のことをわかっていなかった

あ~あ~あ~・・・・・・・・・   あ~あ~あ~・・・・・・・・・

と、いうことでしたが何とかぎりぎりのぎりぎりでパスポート取得できて無事にスペインに行けました

 

 

行ってから…

一番大事な薬を忘れた。ポーチの中にあった数錠で何とかだましだまし過ごしてみました。何とかなりましたが帰ってきてから時差ボケが治らなくて、先生に相談したら薬飲み忘れると時差ボケのような症状になるのだとか…


旅行中は気が張っていたから何とかなったのだと思うけど、薬忘れるとは…

でも行ってよかった。現実から離れて自分のしたいことができたから元気がでた

 

いつもの結果オーライということで!

うつ病~休職から退職した同僚の話

表向きは適応障害で退職されましたが、彼女は何らかの発達障害とパーソナリティ障害を持っていたのだと思います

色々話を聴いていきましたが、プロのカウンセラーでもないですし、多重関係にもなるのでそこそこでお話を聴いてきましたが、

お母様が重いうつ病だったそうです。精神疾患は遺伝的なものもあるので遺伝子レベルでも考えられます

いつの時点でのお母様のうつ病かわかりませんが、成育歴に色々あったように感じます

実家は妹さんが家を継いだそうで実家にも帰れない状況です。家をでた身としては帰りにくいと思いますが、そこにも何かあるのでしょう

かなり白黒思考が強いです。私も人のことを言えませんが、私が見てもかなり強いです

表向きは穏やかというか無表情に近いです。内面はとても激しいです。嫌いな人に対してはとことん嫌いです。でも、外面にださないので近しい周り以外は気づきません

音にとても過敏で仕事中は耳栓をしていました

においにも敏感で整髪料や柔軟剤の香りが強い人がいると人事に訴えていました

 

そのような状況で、毎回恒例の派遣が慣れてくるとものすごく嫌いモードが発令

でも、今回の派遣に対しては今まで以上の嫌いさ炸裂

コロナ禍で本人のストレスも限界だったのかもしれません。未知のウイルスに対する恐怖、コロナ禍の派遣の出社拒否依頼、それを認める上司

派遣を在宅勤務にしたら家で仕事以外のことをしていたらしい

   

3か月、給料いらないから会社休みたい

いやいやいや、診断書ないと仕事休めないよ。

メンタルクリニック行って診断書貰ってきたら」と話すと猛烈に精神科行くのを拒否

でも、しぶしぶ行って診断書をもらい無事?に3か月休めることになりました

 

3か月後、復職前面談で会社にきたときになにを思ったのかアホ本部長が「これからは派遣さんと仲良くして頑張って仕事してね」と

これに切れた。派遣と合わないことが原因だったのだからさぁ~休職後、復職する予定が退職の話に変更

 

本部長のアホ具合はチョモランマ級

私も何度も空気の読めない言動に泣かされたか…

アホランマ本部長は自閉症スペクトラムだと思っています

うつ病~いま

現在、6か月休職してから復職して4年かな

昨年末に月1回のカウンセリングが終了

4月でメンタルクリニックに通うのも終わったので薬も飲まなくなった。4年近くも病院に通ったのは長いようにも思うが、先生曰くしっかり治したから大丈夫との太鼓判を押してもらった

でも、やっぱり以前のように無理は利かないし、考えの方向がマイナス思考に陥る。ここに「完治」ではなく「寛解」という由縁があるのかもしれない

 

仕事内容は、相変わらず私が社内の最下位層と考える部署にいる。もうここから抜けだすことはないだろう。会社を辞めない限り毎日毎日同じ業務を淡々とこなすだけの日々。つまらないけどここにいるしかない

もちろん役職もない。本来なら私が課長だったのに…別の方が課長になり、外面のいい後輩が係長になった。新システムの入替のプロジェクトメンバーにも選ばれなかった

そんな立ち位置のどこに楽しさを見いだせばいいのか

休職前の5年間は、本社から東京オフィスに転勤になり、新オフィス立ち上げで札幌転勤もした。前回のシステム入れ替え時の不具合の時は体を張って頑張った。これは全部5年以上前の話

今までの功績を知っている人は少なくなってきた。知っていても休職期間があるからどう触れたらいいのかわからないのか…誰も触れない

今更昔の話を持ってきて触れている場合ではなく、日々先に進んでいるのだろう

 

そんな気持ちを社内のメンター制度で人材開発部の偉い人にぶつけた

・なぜ仕事に順位をつけるのか

・なぜマイナスのループを回っているのか   ごもっともだと思う。

 

過去の栄光

この呪縛から抜けでて未来を見ていくことがいいことだともわかっている

未来…何が待っているのだろうか。不安や心配しかない

 

最近、ふつふつとあの時うつ病にならなければ…あの上司が…いやいやそんなことは思ってはいけない

そんな気持ちが湧いてきているのが正直な現状

うつ病~復職後

時短勤務で仕事再開しました。

初めの1ヶ月は12時まで、そのあとの2か月は15時まで

 

どうなるかと不安もあったけど、復職第1日目は特に問題なく出社できた。周りもどうしたのだろうと思いつつも聞かないほうがいい空気が漂っていたのかも…でも比較的暖かく復職を受け入れてもらった気がする

当面の仕事内容は営業アシスタントから受注センターという業務になった。ひたすらタイピングなのでお客さんとか営業との込み入った話がないから自分のペースでできそう

社内で1番仲のいい、休んだ状況も知っている同僚と同じ業務というのは心強い

でも、この業務は私の中で最下位部署と認識している

営業アシスタントでさえ売上を作れないのだから・・・と言われていたのでそのまた下の階層というのが何ともなんとも納得がいかないがいったんここでの慣らし運転は仕方ないのだろう


原因の上司は、本来の部署にのみ専念ということで落ち着いているらしい

私も悪かったからという気持ちがあるのでどこかで和解したいと思っていた。何かのタイミングでメールして和解した。でもそのあともなんかぎこちない関係は続いている。これは仕方ないのかもしれない

一度崩れた人間関係の完全なる修復は難しいのだろう。まぁ~彼との関係はこんな感じでいいのかもしれない

 

時短勤務を終えて通常勤務に戻ったのはいいが6か月休んだ私にとって週5日出社はきつい

そんなことを考えていたらコロナ禍で在宅勤務が始まった。受注センターは郵送物などがあるので毎日誰かが出社しないといけない・・・でも、仲のいい同僚が家近いから自分が毎日出社してくれると言ってくれた     ありがたいお言葉

と、いうことで週5日在宅勤務になった。帰休日とやら月1回有休でもない休みが取れる

制度ができた              こちらもありがたい制度

在宅勤務がなかったらもしかしたら復職後に再休職、またはたいしょくしていたかもしれない

そして、現在は週3出社の週2在宅勤務というところで落ち着いている

うつ病~カウンセリング

会社というか上司へのうっぷんがたまりにたまり、顔もかゆいし、咳も止まらない。病院に行っても原因がわからない

会社を休みがちになる前、休職する前に同僚から会社のカウンセリングを受けたらと言われた

私 : いやぁ~あの先生でしょ。悪い人じゃないと思うけど頼りなくない~絶対解決しないでしょ!無理無理あの先生~

同僚: 私、カウンセリングを受けてるよ。仕事のことだけでなく家庭のこととかも聞いてもらえて、なんか会社の体制もよくなった気がする

私(心の声): 会社の体制がよくなる…あいつ(上司)を退けて私が課長になれる日が早まるかも

ここの違い…これがのちの課長のポジションをだれが得たかの分かれ目だったかもしれない。ここに至るまでにそもそもの性格なんていうのもあったのだろうけど

同僚は私の今の上司です。こんな私を部下に持ち、彼女はまだカウンセリングに通っているのでしょうか

私は、カウンセラーにもう大丈夫かな。何かあったらすぐに連絡してください と、言われて4年ほど続いたカウンセリングは終了

 

だいぶよくなり、復職も目前になったとき

復職に向けてどうですか、 と聞かれて

急に休んだのでどうしたのか聞かれそうで…私が休むきっかけは〇〇さんだから聞かれたら言おうと思います! というと

 


今までに一度も見たことのない厳しい顔で厳しい声で

それはやめなさい。それをすると周りからの目が巡って結局自分に返ってくるから

へっ・・・   そんなこと言われると思ってもいなかったし、そんなに厳しく言われるとも思ってなかった

でも、そういてくれてスッと入った

確かに私にも悪いところはあった。被害者でもあるけど加害者でもあった

会社も6か月も休ませてくれたのだから何かお返しをしていこう

 

スゲーこのカウンセラー!私もカウンセラーとやらになってみたい!

私と同じように適用障害やうつ病で苦しむ人を一人でも作りたくない

私、頑張ってみるよ

うつ病~休職中 終盤

休職期間期日の6か月のうち5か月が過ぎ、残すところあと1か月

身体は大丈夫だと思う、うつ病発症前から悩まされていた顔のかゆみもだいぶ治まってきた。結局原因はストレスだったのだろう

 

咳喘息もだいぶ治まってきたけど最近また咳がで始めている。復職することへのストレスなのかも

吸入をうまく使って治めている感じ

 

 

期限を6か月としたから6か月で復職しなくてはいけないという気持ち

私はこの状況で本当に治ったのだろうか。今まで通り働けるのだろうか

この狭間はけっこう厳しいかも

病院の先生も会社も親もカウンセラーさんも6か月後に復職すると思っているから、もう少し休みたいと言いだせない

どうしよう、どうしよう、どうしよう

流れのまま6か月後に復職する方向で話が進んでいく

今更もう少し休みたいとは言えない

職を失うということは、社宅扱いの住居も失うということ

今の状況で引越しはむり

どうしよう

 

とりあえず、会社に行って復職についての面談をした

営業部からは、営業事務の中の受注センターという伝票発行をしているチームでならしながら仕事を再開してはどうかという話だった

人材開発部からはリワークシステムというのを利用してみてはどうかという打診もあった

リワークシステムかぁ~

 

この話はいいかもと思って見学しに行ってみたけど私には向いていない気がした。

今思うと私は行かなくてよかったと思う。行っていたら、会社の実績作りにはめられていたような気がする

 

うつ病~休職中 中盤

正直言うとあまり記憶がないかも

そもそも、うつ病は脳がショートしたから起こったことだからそんな感じだと思う

そんな中で感じていたことは、体は休めたから少し元気になってきた気がする

金銭面は支給額の6割はもらっていたからそんなに心配はなかった。決算賞与ももらえたし。転勤扱いだったから家賃の8割は会社負担のままだったし

お金の面での心配がないということはかなり大きいかも

 

脳の動きが遅いということが気になるかな


今も、病気の前の通り動くかというとそうではない。この時から5年くらいたつけど今も前みたいには動かない。機能的な問題もあるのかもしれないけど動かすとまたうつ病になるのではないかという不安があって動かせていないのかも。動かさないほうがいいのかも。そこは今の心配事として

 

この部分は人それぞれ感じ方が違うかもしれないけど、私の場合は物覚えが悪いことと適当な適材適所での言葉がでてこない

病院の先生に話したら、回復すると前はもっとできたはずと思って今までの上を目指してしまう。とのことだった

確かにあるかもしれないけど…やっぱり言葉が思いつかない

一言で済む話が長々と色々説明してしまう

今までもそんなに気の利いた一言で言い表せるタイプではなかったけど、前よりも悪化している気がする

人には言われたことはないけど、1年前にカウンセリングの勉強をしている時にもっと簡潔に話す練習をしましょうと言われたことがある

これは、うつ病の後遺症なのか、もともとの私なのかはよくわからない

とにかく脳が動いていない気がすることが心配だった。これが治るのかどうかも心配だった

そして、薬を飲むのが終わった今も続く・・・脳がショートするとは怖い