うつ病~休職中 初め

休むことになって気が楽になった

休んでよかった。周りのこと、自分の立場、人からの目など色々考えて休んでいなかったら、というか休むしかなかった。毎週のように休んでいたし

 

精神科の先生からは、初めの1か月くらいは会社のことが気になるけど気にしないようにとのことでした。先生も気にしてしまうのはわかっていることを前提に話してくれたので薬などの調整をしてくれました

パット見た感じ、適当そうな(いい意味で)ベテラン先生という感じ

適当さが私にはよかった。自分の性格や考え方などにあった先生に会えてよかった。ここはとても大きかったと思う

精神科に行くことはとても勇気がいることだったけどまずは病院

自分にあった先生に会えるかは運しだい。ここが難しいところなんだよね

 

 

初めの1か月・・・

家にいてもひきこもるだけだし、することもないし、色々考えてしまうし

父には会社を休んでいることは言えないので、年末年始の休みが早めに休みが取れたということで実家に

年明けてからは、母が親の介護という名目で田舎に帰っていたので本当のところは父と別居中ですが、祖母の家に

翌月早々から10日間憧れのスペイン旅行に

 

元気じゃん! と思われるかもしれませんが

病気のため期限内に予定を立てて考えながら何かをするのが難しい

パスポートを取りに行くことが大変だった。旅行会社から早くださないとアルハンブラ宮殿の入場ができないと言われ…「も~~~入場できなくてもいい。無理なの。行けるだけでいい」と思ったりもしながら

 

初めの1か月は、両親に甘えて過ごしました

非日常的な状況が作れればいいのかも。そうできたからうつ病になったきっかけを考えずに過ごせることができたのかも

 

給与6割貰えるという情報は大きかった。精神科の先生に聞くまで知らなかった。会社もすぐに手続きを取ってくれたからそこは会社に感謝

うつ病~休職するまで

2018年9月~頻繁に休むようになり、12月末に上司から休職したらと言われた

若干売り言葉に買い言葉的な感じもあったけど、休んでよかった

繁忙期だから色々思う同僚はいたけど、休んでよかった


この時が私にとってのベストな休職のタイミングだった

ここで休職していなかったらどうなっていたのかはわからないけど、休職するしか選択肢がなかったかもしれない

 

2017年11月に東京オフィスに戻ってきた。その時のことは「うつ病適応障害」になるに記載

2018年7月頃からなんか変だと感じ始めたが、休むこともできないし、私は悪くない上司が使えないから悪い

病院に行くことも考えたが適応障害うつ病というものがよくわからない。そもそも精神科に行くなんて考えられない

なぜなら私は悪くない。上司が使えないから悪いのだ

2018年9月末頃から会社を頻繁に休むようになった。行きたくないというよりは朝だるくて起きられない

休めば休むほど人の目が気になり会社に行きづらくなってきた

2018年11月メンタルクリニックに行ってみることにした

2018年12月末から休職

2019年復職を考えるようになり、会社の契約カウンセラーとの面談を始めてみた

 

このような時系列で進んでいきました

適応障害うつ病というものがよくわからない

・そもそも精神科に行くなんて考えられない

・なぜなら私は悪くない。上司が使えないから悪いのだ

・休めば休むほど人の目が気になり会社に行きづらくなってきた

この辺の感情かな。ここで一度冷静に自分を見返ることができれば何か変わったのかもしれないけどできないよね

だって、私イケイケだったから

 

そんなこんなありましたが、ここだけの話、休職中は楽しく過ごしたのです

このような経緯での休職は嫌だけど、休職というものはいい経験ができました

うつ病~適応障害になる

適応障害とは、適応障害 - Wikipediaを参照

適応障害という言い方、なんか私が悪いように感じるのですよね

確かに私がその場で適した、応じた行動(適応)ができずに生じたバグ(障害)なのですが私が悪いのでしょうか

違います!


私にも悪いところがあったかもしれないし、周りにも悪いところがあったかもしれないし、タイミングもあっただろうし、年齢や季節などもあっただろうし などなど

色々なものが重なって体調不良になっただけのことです

 

私の場合、適応障害うつ病と診断されるまでに一部ですが下記のようなことがありました

上司)初めて会ったときになんか嫌い…と思うタイプだった

別の部署との兼任で本人も私の所属する部署での課長は望んではいなかった

職場環境の変化)新オフィス立ち上げで札幌に転勤した

2年間の約束だった

1年間何とか回してきたのでこの後は形を整えようと思っていた

2か月に一度東京出張があると言われたがその話はなぜかなくなった

東京オフィスが回らないから戻ってきてと言われた

仕事内容)戻った東京では業務内容的にもあまり行きたくなかったチームへ配属

チームに特化したことを覚える+同タイミングで入社した派遣へのOJT

移動直後に社内システム入れ替えがあったがうまく起動せずにめちゃくちゃ

プライベート)転勤時に彼氏のような存在の人がいたが転勤を機に疎遠になる

転勤先に彼氏のような存在の人がいたが転勤を機に疎遠になる

 

東京で順風満帆→ 急ではあったが前向きな札幌転勤で順風満帆   のところ

東京に戻り希望しない転勤+希望しない部署+OJT+新システムエラー+合わない上司= 1年後休職   書きだしてみると完璧な数式

1on1でメンタル不調予防を考えるときに状況を客観的に数式にしてみるのもいいかも!

 

私がやらないと誰がやるの?何とかこの状況を打破するにはどうしたらいいの?この状況の中少しでも良くするにはどうしたらいいの?

色々考え、毎日残業

でも、上司の動きが遅いから思うように進まない

進まないところに同僚同士のもめ事を持ってくる人、派遣がいまいちだからチェンジを依頼するも受け入れられない

私だけが悪いのではなく、色々なものが重なって体調不良になっただけのことです

離婚調停~終えてみて

裁判となると考えられないほどの費用が掛かるのでこれだったら可能かな。でも、弁護士さんを頼んでとなると別途費用が掛かります

 

結果としては、弁護士さんを頼んだほうがよかったのかも、と思ったりもする

私の場合、前回のブログで記載しましたが元旦那に100万円払いました。弁護士費用<100万円なら弁護士さんに依頼したほうが気分的にすっきり終えて、その後の相談もできたのかもしれない

まぁ~諸々の結果の後、後々考えればということですが

 

 

月並みですが、

勢いやその場の感情で判断するのはやめたほうがいいです

今の自分にきちんと冷静に向き合って、じっくりメリットとデメリットと前向きな将来を考えましょう

 

「信頼できる人に相談しましょう」なんていうけど、相談できていたらこんなことになっていないのだけどね

でも、言葉を含む暴力にあっているなら匿名で相談できるところもありますので早急に相談しましょう。敷居が高いかもしれませんが警察署の生活安全課に電話もありです

もしかしたら違うかもとか私が悪いからとか恥ずかしいとか考えると手遅れになります。


自分を過小評価しないでください

確かに何もできない、何もないかもしれませんが「本当に何もないのですか」なんて問いもありますが

小さいかもしれませんが、あなたは何か持っているはずです

小さいかもしれませんが、あなたにとってメリットとなるツールがあるはずです

何かあるはずです

 

 

あなたらしく生きてください

離婚調停~最終日の珍事件

月1回ペースで5回ほど話し合いをしたが進展なし

調停員の方から、なかなか進展がないので金銭でという話がでた

相手から言いだしたのか、離婚調停のあるある手段なのか

私としてもそろそろ終わりにしたかったし、そもそもどのようなものかわからなかったのでお金で解決することにした

貯金額148万円ほど



貯金額を提示したらいくらほしいと言うのかと思って「欲しいだけどうぞ」といってみた

「そんなことも決められないのか」と激怒したらしい

「では、全額どうぞ」と言ってみた

「100万円もらう」と言ったのでしょう

私は100万円払うことになった



100万円でけりがつくなら安いものだと思ったりもするが…

そもそもなぜ私がお金を払うのか…今も思っていることですが…

「お前は金々うるさい」と言われてきたが、私ではなくあなたのほうでは???



この後、離婚調停が成立した

最後に顔を合わせることになった。気乗りしなかったけど調停員さんが「最後だから」と言ったので会うことにした

今思えば会う必要はあったのだろうか。拒否したほうがよかったと思う

拒否すべきだった!

 

その後、離婚成立の書類用の収入印紙を買いに地下の購買に行くことに

まずは、相手が先にでて購買へ

しばらくたって私が購買へ行こうと調停員さんと部屋をでると廊下で号泣しているあいつが…

ダサ…ダサすぎる!

 

あんなダサいやつに12年も悩まされていたなんて…

23歳~35歳のとてもいい年代を無駄にしてしまった

 

 

離婚調停~流れ

第1回目はすっぽかしてしまったので、今回は何としてもいかねばと思い感じよさをアピールするも案の定、心象悪く思われていた感じ

 

調停員男性と女性各1名

相手方とは集合時間が異なる、待機場所も異なる、もちろん話合いは別々

大阪家庭裁判所は、フロアの真ん中にエレベーターホールがあるので左右から各部屋に行くことができます

1人が廊下にいるとき1人は話合い室か待機場所にいるようにその辺は気を使ってくれていました。顔を合わせたらまずい人もいますしね。でも、最終日廊下で顔を合わせるという珍事件が…これは次のブログで

 

本来の1回目は、申立てした人のみから話を聞くという日だったようです。2回目から双方1時間ずらしての集合。先か後かは交互

3回目くらいのときかな、私が後集合の時に私の少し前を歩いているあいつが…理由はわかりませんが遅れてきたらしい。この辺から調停員さんもあいつのことがわかってきたよう

 

そんなころから進展がない現状

なぜ離婚したいと思ったのかを文章にすることになり…文章苦手、10年以上前からを振り返って日々起こっていたことをレポート用紙3枚にまとめて提出してみた。というか、提出する前から分かっていたけど何を書いても文句を言われることを。だから、そこに労力を使いたくなかった


「たった3枚、こんな内容しか書けないのか」→「はい、それがあなたを離婚調停に引っ張りだした私です!」といえるわけもなく

「結局、金銭的に自立できないから離婚せずにいたのだな」→「そうだよ。そうしたのはお前だろ」といえるわけもなく

年の功とやらかね。今ならちょっとした皮肉も言えるけどね

そんなレポートと今思えば、今ならをブログに書いていきたいと思ったりもしてきました

 

そんなこんなで進まないので、調停員からお金でけりをつける提案をされた

のむことにした。何でのんだのだろう。調停ではよくある手なのか。あいつからの提案なのか。今となってはわからないけどのんでしまった

 

次回へと つづく

離婚調停~私なりの気づき

正式名称 夫婦関係等調整調停

 

私の場合は、何も請求しない、財産分与もない、子供もいない、ただ離婚したいだけ

決まった用紙に名前を書いてハンコを押すだけのはずだけど当事者同士だけでは進まない


一緒にいても会話はなく気まずく息苦しいだけ。相手もそう思っていると思う

ではなぜ離婚を受け入れてくれないのか…

×2の方だったのです。私も含めて×つく人は何らかの足りないところや落ち度があるのだとおもう

絶対的にあり得るのは「人を見る目がない」だと思っている。離婚の理由がなんであったとしてもそこに至る過程に何らかの見立てができなかった

見通せる人なのかどうかを「見極める眼力」が必要だと思う


元旦那と私のペアではなく違うペアだったらうまくいくこともある。そんなうまくいく相手を選べないからここに至っている

そのことはきちんと理解したいと思う

 

自分にだけ悪いわけではない、相手も悪いところがある。だから自分ばかりを責める必要はない、だからと言って相手ばかり攻めるのも違う   お互い様

 

 

申請は、まず相手方の住所地を管轄する家庭裁判所への申立てをします

必要なものは、収入印紙代 1,200円、切手代 800円前後、戸籍謄本1通、住民票1通 計3.000円ほどです

 

申請後、2週間後くらいすると手紙で第1回目の日にちの連絡がきます。日にちの変更はできませんので厳しい方もいるかも

この手紙が曲者!私だけかもしれませんが…お役所関係の手紙って表面を内側に折るのではなく外側に折るのですね。封筒を開けてまず見えるのが表面、ということを知らず…内側を見ても注意事項的なものしか書いていないので別途日にちがくるのかと思っていたら、初回からすっぽかす形になってしまった

しょっぱなからヌケヌケでした