それもDV~生活費
生活費を1万円ずつしかくれない。お米買って、クリーニングだして、自分の分はあまりださないようにしていたかも、でも対等だと思ったから自分の分もだした時もあった。新聞代払って、そしたら1回でなくなってしまう。
まとめえてもらうようにしたいと言った。多分話し合ったのだと思う。金額を決めた。1ヶ月7万円と決まった。足りない時もある。怒られるのを承知で理由を話してもらうようにもした。色々言われた。
家計簿をつけるように言われた。
それもそうだと思った。でも、どのようにつけたらいいのかよくわからなくなった。記載できないものもあった。
扶養の範囲内で働くように言われた。税金の関係がどうとかこうとか言われた。よくわからなかった。最終的にはお前が老後困らないように貯金をしていると言われた。だから納得してしまった。
パートで働いた分は全部自分の分
働いた分の一部は定期預金をしていた。母親がそうしろといったからかもしれない。いくら貯金をしていたのだろう。忘れた
そこから友達と会ったり、自分のものを買ったり
もしかしたら、良いご身分だったのかも。1ヶ月8万円位の収入、いくらか貯金、残りは自由
お金が原因ってずっと思っていたけど、もしかしたら夫婦で対等でない事への表現できない気持ちだったのかも。夫婦間で上下関係があるからおかしかったのかも。
1周り以上年上の旦那
だから、どうしても帳尻が合わなくなる。だからつけることができなかった。帳尻が合わないことが自分の中で納得がいかない。でも合わない。
残金をどうしたらいいのかもわからない。自分に収支についての知識がなかったからだ。でも、そんなの気にしないで書けたはずなのに
家計簿を買おうと思った。でも変えなかった。頑張ってつけるぞ!と思える家計簿は高かった。その時の私にとっては高かった。家にあった雑記帳のようなノートにレシートを貼ってつけてみたけどなんかしっくりいかない。思い描くようなきちんとした家計簿が出来上がらない。
そんなこともできないのか
あいつから言われたことなのか、親からずっと言われてきたことなのか、わからない。でも、そんなこともできないのかといわれた気がする。言われたのかもしれない。
そんなに事細かくいつまでも覚えているタイプではない。その時の流れに任せて何となく生きてきた。
話す事ができなかった。なぜ話せなかったのか…よくわからない。
できないなんて言えなかった。自分のプライドもあったと思う。でも今思うとそれだけではなかったのかも。その時は、自分のプライドの高さが原因かと思って自分が悪いので余計に言うことができなかった。